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突然我が身に降り掛かってきた「適応障害」。
適応障害って、こころの病気?ワタシが!?なんで?何をどこで間違えたらそうなるの??
発症してから約3年心療内科に通いましたが、今では休職・退職・再就職を経てすっかり元気になりました。
今まで大なり小なり病気はしてきたものの、適応障害ほど自分の生き方に影響を与えたものはなかったです。
病名を告げられた私が戸惑ったのには理由があります。
それは【「適応障害」という病気について、何も知らなかったから】です。
何が原因になるのか、どんな経緯で進行あるいは回復していくものなのか。医学的な話は聞いたことがあっても、実際の患者さんの声が発信されていることは少ないものです。
私にとって未知の病気だったので、自分に身に振りかかったことが信じられない思い。
情報が少なかったことが不安を増大させた経験から、今回の記事を書くことを思いつきました。
今回の記事では、私が適応障害になった経緯をお話します。
どんな働き方が原因になったのか、患者ならではの視点から書いていきます。
「適応障害」発症する前のワタシ
「ストレスは少ない方だ」「寝れば忘れる」と思っていた
「あんまりストレスって感じないんだよね~」と言うと、周りからすごい勢いで「そんなことない!」と言われていました。周りにはストレスフルな面がしっかり見えていたんでしょうね。
自分のことは自分が一番よく分かってる・・というのは大嘘だということ。当時はそんなこと微塵も思っていませんでしたが。
趣味もそれなりにあり、休日にはきちんと発散できていると思っていました。
実際にそれで何事もなく時間通りに出勤してガッツリ働いて帰ってこれていたので、何の問題もないと思っても仕方なかったと思います。
知らないうちにストレスや感情に蓋をするのが当たり前になっていたのかもしれないな、と。
仕事はフルタイム、スキあらば残業しようと思っていた
2度の育休を経て復帰した後は、割と早い段階でフルタイムに戻しました。
人に頼るのがへたくそ!全部自分でやっちゃった
仕事は片道1時間ちょいで都心に向かい、8:30~17:00のフルタイム勤務でした。基本はデスクワーク。
タスクはかなり多く、栄養に関すること以外にも物品の発注や整理、業者対応などもやっていました。普通に考えればキャパオーバーでしたが、なんとなくできていたので疑問にも思わず。
他の人に教える時間も惜しい&めんどくさいので、結局全部やってしまった・・というのが正確。
保育園のお迎えもあるので、残業のリミットは17:30までの30分間。それでも残業代ほしさに翌日の仕事を少し前倒しでやったりしていました。
「認められたい欲と焦り」が適応障害を呼ぶきっかけに
お金に困っているというより、自分の努力をとにかく給料という「数字」に表したかったのが本音。
「やりがい」という精神論だけでは乗り切れず、自分がやった分を認識するには給料が上がることが一番分かりやすかったんです。
また、結婚してこどもがいる女性はどうしても出世が遅れていきます。
偉くなりたいわけではなく、自分の努力を正当に認めてもらいたかっただけ。
残業すれば認めてもらえるというわけではないのは分かっていましたが、それでも定時で上がるのは気が引けました。
「今のままでは認めてもらえない」と勝手に焦り、わが身を削り始めたのがそもそもの元凶だったんでしょうね。
恐らく、この頃から適応障害を発症していたんだと思います。
こどもに関わるのは1日数時間のみ
そんな働き方をしていましたから、子どもに関わるのは朝の1時間弱と、お迎えから就寝までの3時間弱。4時間あるかどうかです。
その4時間だって付きっきりで遊んであげられるわけではなく、追い立てるように食事を摂らせ、お風呂に入れて寝かす。
「子育て」というにはあまりに雑で、「仕事」というにはあまりに思い通りにならない。
小さな罪悪感が積もっていくような、モヤモヤした感覚がありました。
でも、そんなことで止まってはいられない。周りのママたちはきっともっと頑張ってる。私なんかが音を上げてはいけない。いつかはきっとラクになる。いつになるか分からないけど。
見て見ぬ振りするために、仕事は全力で突き進み、家庭もしっかり支えようと意気込んでいました。
そんな日々が続いたある日、突然目の前が真っ暗になり、息をするのも苦しい状態に。
度重なる不調が起き始め、「適応障害」の診断が出たのです。振り返ってみると、体の不調が出始めたときから半年程度経った辺りだったと思います。
「適応障害」診断直後のワタシ
初の休職を余儀なくされ、時計を眺めて毎日泣くゾンビ状態
出勤は難しいとの判断で、診断書をもらった日から休職になりました。
このときは「職場に行かなくて済む」という安堵感は全くなく、「とんでもないことになってしまった」という焦りしかありませんでした。
産休・育休以外では初めての長期離脱。しかも復帰のめども立たない。
時計を見てはめそめそ泣く日々が続く
朝も起きれず、食事も摂れない。昼頃になんとか起きてきて、一人きりのリビングで時計を眺めていました。
「この時間は病棟に行く時間だな」「もうすぐ休憩時間だから、本当はあの書類を揃えておかないといけないのに・・」
職場で時計を意識して動いていたので、自然と時計に目がいってしまい、なんでこんなクソ忙しい時間に一人で家にいるんだろう・・と何もできない自分に絶望して泣く。
夜も眠れないので、泣きつかれてヘトヘトになってまた布団に戻る。日光を浴びるのもしんどく、まさにゾンビのような生活でした。
食事が摂れず、体重は落ちていく一方
とにかく食欲ダウンがひどかった。
空腹感もないし、食べることすらめんどくさい。食べたいものも浮かばないし、水を飲むのもイヤ。
口にするのは薬と内服用のコップ1杯の水のみ、という日が続きました。
当然体重がどんどん落ちていき、2ヶ月で7kg近く減りました。トータルで10㎏以上減ったでしょうか。
筋力低下もハンパなく、立ち上がるだけでも体中が痛くなる始末。肌も荒れ放題でした。
体中がボロボロになっていき、その現状を嘆いてまた泣く。もう救いようがない毎日でしたね。
文字も読めない、物事が覚えていられない
これは本当に衝撃だった。何とも不思議な感覚でした。
文字が書いてあるのは分かる。日本語なのか外国語なのかも分かる。
でも、なぜか「書いてあることの意味」だけが分からない。読めるけど、何のことを書いているのかが理解できないというか。伝えるのがなんとも難しい状態。
小説や漫画を読んでもストーリーが理解できなかったり、何度も出てくるキャラクターが分からなかったり・・みたいな感じでしょうか。
また、理解力がハンパなく落ちていることに加えて、記憶力もとんでもなく落ちていました。
長年やってきた仕事の手順がちっとも出てこない、料理の段取りが組めないなど、仕事でも日常でも大きな影響が出てしまっていました。
でも、つらいことに「本来分かるはずのことが分からない」ことは分かるんです。自分が今おかしいんだということは痛いほど分かってしまう。しかも、どうやったら元通りになるのか見当もつかない。
まさに「出口の見えないトンネル」という言葉がぴったりの毎日でした。
「適応障害」発症して半年のワタシ
「楽しい」と思えるようになってきた
5月頃に初めて診断書が出たので、その年内辺りのことですね。
最初こそ今にも死にそうな毎日でしたが、ある日のメンタルクリニック受診で気が変わります。
とにかく仕事に早く復帰しなくてはと焦っていた私は先生に「復職する目安になることはなんですか?」と聞きました。
すると、先生は3つの条件を教えてくれました。それは。
- 睡眠と覚醒のバランスがしっかり取れていること(睡眠導入剤を使っていてもOK)
- 仕事以外の日常生活が、何の問題もなく毎日できること
- 「仕事に行きたい!」と心から思えること
これを言われて思ったことはただ一つ。
当時一つもクリアできていなかったので、逆立ちしても復職はできないとようやく理解した・・というより、諦めがついたって感じですね。
また、先生から「いつか必ず3つの条件をクリアする日が来ます」とはっきり言っていただいて、ふっと心が軽くなったのを今でも鮮明に覚えています。
そこから趣味に時間を使うようになったり、調子がいいときは散歩に出たり、仕事以外のことをやるようになっていきました。
その頃から「楽しい」という気持ちが少しずつ顔を出してくるようになり、急速に気持ちも落ち着いてきた感じがします。
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「食欲」「物欲」が戻ってきた
症状がひどいときには、夫に「何か食べたいものある?」「何かほしいものある?」と聞かれても、全然何も浮かびませんでした。
今まではそんな事聞かれたら挙げきれないほどものが浮かんできて、もはや誰も聞いてくれないくらいだったのに(笑)。
「楽しい」という気持ちが戻りつつある中で、一緒に戻りつつあったのが「食欲」と「物欲」。
何か美味しいものが食べたいな・・季節も変わってきたから新しい服が欲しいな・・という考えもよぎるようになります。
メンタルに良さそうな食事を心がけたりして、少しずつ健康を取り戻していった感じですね。
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実際に買いに行くという行動には出られないものの、ただ気持ちが浮かんでくるだけでも相当な進歩でした。
体力は落ちたままなので、遠出するとしんどい
実は、9月に泊まりでディズニー・ハロウィンに行ってきました。2019年の話なので、コロナ以前の話ですよ!
半年も前から予約していたのでキャンセルするのももったいないし、子どもたちも楽しみしていたので予定通り決行することに。
泊まりだし、疲れたらホテルで休めばいいか・・なんて思っていたのですが、行きのバス移動だけで体力限界という軟弱ぶり(笑)。
しかも初日は雨が降っていたので、午前10時時点でもうグロッキー。体力の落ち方は予想以上でした。そりゃまあ、1日中家にいてほとんど寝たきりだった時期もありましたから、当然っちゃあ当然ですね。
キャラクターが通りかかったら、いつもなら「キャー!」って見に行くのに、カラフルな衣装がヒラヒラ動くのを見て目が回りそうになる。
そこから休憩をはさみつつ、チェックインしたらまず昼寝(笑)。当時は下の子もお昼寝必須の年齢だったので助かった・・。
何とか楽しんで2日間旅行を終えましたが、体力的にはかなり綱渡りでしたね。それ以降は何でも余裕を持ってスケジューリングするようにしています。
ちなみに、休職中に遊びに行くのはマズイと思ったので職場には内緒のままです。お土産も買わないで済んだから節約できましたね。
職場に復帰、まずは1時間から
10月頃には症状は落ち着いており、以前に主治医から言われた復職3条件もクリアしていました。
中でも「仕事に行きたいと心から思える」という点に関しては、働きたいというより「さすがにヒマだな。そろそろ働くかぁ・・」という何とも脱力系な判断。
まぁ、ヒマだと思えるくらいにこころが軽くなったんでしょうね。いいことだ。
薬は減らさず、働きながら様子を見ることに
飲んでいる薬は変えずに飲み続けることにしました。復職後の様子を見て、働きながら減らしていくほうが現実的ですからね。
そんなこんなで11月から復職することとなり、まずは時間通り出勤して1時間程度職場の空気を吸って帰る・・というリハビリ勤務をしていました。
片道1時間かかるので、それだけでも最初は疲れ切って帰ってくる始末。今まで8時間以上がっつり働いていたのが信じられないくらいです。
2週間程度は1時間滞在、その後1週間ごとに時間を伸ばしていき、12月中旬には6時間程度まで伸ばせていました。
仕事内容はあらかじめ相談しておく
業務は事務作業のみ。電話応対や患者さんの面談などの対人業務は外してもらうようにお願いしていたので、基本的には部署の気心の知れた人だけと会話している状態。
どうせ戦力としては期待されていないだろうから、せめて迷惑をかけないようにしておこうと思っていましたが、それはそれで周りに気を遣いすぎていたのかもしれませんけどね。
その後は、復職して半年程度経った頃から徐々に対外的な仕事を始めました。一度始めてしまうと案外何とかなるもので、あっという間に元通りの仕事をこなすようになりました。
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「適応障害」発症して1年のワタシ
「定時で帰ること」「仕事を断ること」に心血を注ぐ
2ヶ月かけてフルタイムに戻し、業務も今までより少し軽減した程度で半年強。とにかく再発させたくない一心で働きました。
「今までと全く同じ働き方」は捨てる
100%の仕事は目指さず、50%できていればOK。残りの50%は手伝ってもらうこと前提です。
病気になったからこその働き方でしょうが、本来なら1人ですべての責任と業務を負うなんてリスクが高すぎるんですよ。
実際のところ、私がそんなんでも部は回ります。特に大きな問題はありません。
良い意味でも悪い意味でも、私が100%フル回転しなければ業務が滞る・・なんてことはないのです。それを受け入れたらすっと軽くなりました。
子供の送り迎えも夫が一人でやってくれていたので、私はしばらく仕事だけに集中することができたのもありがたかったです。
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少しずつ「働きながら生きる」ことのカンを取り戻し、電話や患者さん対応もできるようになり、このまま上手いこと復活できるんではないかと思い始めたのが復職後1年ほどのことです。
自分も周りも「もう大丈夫だな」と油断したのが命取り。
将来の見通しが立ったと思い始めた頃に、思わぬ落とし穴がありました。
ある日久しぶりに出勤することへの不安がぶり返したのです。
とはいえ、この程度なら数日仕事から離れれば回復しそうだと思い。有休をもらってメンタルクリニックに一応相談しに行きました。
クリニックでも、やはり軽度の再発ありきで考えていて、むしろ1年何事もなく働けていたのは長くもった方だと言われて安心して帰宅。
治療し続けていた自分にとっては、ある意味想定内の状況だったので、ここで無理しても仕方ないと思っていましたが…。
上司にとどめの一言を投げられて自信喪失
クリニックの助言を受けて、上司に「3日ほど休んで、来週から戻りたい」と普通に言ったら・・。
「半年でも1年でも休んでいいから、完璧に治してから帰ってこい。来たり来なかったりじゃ、みんなが予定が立たなくて困る」といきなり食い気味に言われる。
もう耳を疑いました。それって些細な再発でも二度と許されないってこと?調子が悪くても二度と休んじゃダメってこと?みんなニコニコしてたくせに、本当は裏で迷惑だって思ってたの?
信じた私がバカだったんだな。
それを境に、二度目の休職に入りました。正確には、職場との連絡をボイコットして閉じこもってしまったんです。逃げたんです。
逃げた先には思わぬ道が開けていたお話
衝撃の一言を受けてすっかり意気消沈した私。もともと2度目の休職があったら退職しようと思っていたので、傷病手当金がもらえることを確認した上で退職しました。
お金のやりくりは大変でしたが、傷病手当金のおかげで生活はそれなりに維持できたのがありがたかったです。
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退職したことで症状が一気に回復!
ストレスの元である職場から完全に離れたことで症状が一変!ビックリするようなペースでどんどん回復していきました。
あっという間に薬が必要なくなり、家事もお出かけも問題なくできるように。ヘロヘロになってしまったお泊りディズニーもリベンジし、これでもかというくらい遊んできました。
適応障害はストレスの原因から離れると症状が改善するとされています。アメリカ精神医学会の基準のなかで、適応障害は「ストレスが終結してから6カ月以上症状が持続しない」とされているようですね。
参考:「適応障害」|北戸田駅前まつもとクリニック
私にとっての「ストレスの終結」は退職だったわけです。冗談抜きで、私の場合は退職して1週間もしないうちに気分がどんどん上向きになりました。
完全在宅フリーランスに転向、今はパートもできる
その後、完全在宅のWEBライターとして活動を開始。そのうち外で働きたい欲も出てきて、現在は平日は学校給食のパート&休日はWEBライターのハイブリッド生活を送っています。
収入もそこそこ安定し、人や社会とのつながりもある。何より好きな仕事だけを必要な分だけできるというのは、ストレスがかからないベストな働き方です。
正直、今でも「逃げてしまった」という罪悪感はあります。でも、逃げた先にこんなに満ち足りた生活と仕事があるなら、逃げて正解だったと思います。
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WEBライターは適応障害持ちに合ってる?元患者&現役ライターが解説
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まとめ
もともとの性格と考え方。そこに子育てしながら働く環境が加わって発症した適応障害。
そして、そこから回復に向かってさまざまなことに取り組んできました。
結果として再度休職に入ってしまいましたが、1年ほど何事もなく働いてきたのは自信になりました。
とはいえ、結局は退職し、現在は全く違う働き方を見つけて充実した日々を過ごしています。
これを読んでくれた皆さんが今現在どの位置にいるかは分かりませんし、みんなが同じ経過をたどるわけではありません。
一つの例として、こんな経過をたどって生きてきた私もいるんですよっと参考になれば幸いです。