[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]はじめまして!
ぴょん吉(ぴょんきち)です!・・ケロ。[/word_balloon]
このサイトにたどり着いたということは、あなたはかつての私と同じ場所に立っているのかもしれません。
私は2019年に「適応障害」と診断され、それ以来治療を続けています。
発症直後はもうどん底でした。
この先どうやって生きていこうか、むしろ生きていけるのだろうかと真剣に悩むほどでしたが・・。
今はこの先が楽しみで仕方ない、超お気楽人生に変わりました!
[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true" icon_type="sparkly" icon_position="top_right" icon_size="M"]そりゃ、たまには不安になるケロよ?[/word_balloon]
うちには頼れるパパカエルと元気いっぱいのおたまじゃくし(息子・娘)がいます。
また、適応障害を発症する直前に購入したマンションのローンもあります。
このプロフィールを書いている今は、傷病手当金がなんと3ヶ月も振り込まれずに無給状態!
結構ヤバいですよね(笑)??
それでもこの先が楽しみだなんて、頭のおかしいやつだと思う人もいるでしょう。
[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]ぴょん吉も、我ながらたまにおかしいと思うケロ![/word_balloon]
今の私が、なんでそう思えるのか、少しお話させてください。
学生時代は順風満帆
会社づとめの父と専業主婦の母の間に一人娘として生まれ、何不自由なく育ててもらいました。
大事に育てられた一方で、嫌なことは何もしなくていいという環境にいたためか、物事を周りと同じようにできないといけない集団生活が苦手。
その傾向が強い地元の幼稚園と小学校は肌に合わず、とても居心地が悪い数年間を過ごすことになります。
人生が好転したのが、受験して私立の中高一貫校に入学した後。
私にとって相性が良い学校に入ることができたおかげで、自分に自信を持つことができるようになり、前よりも明るくなったと親に言われるほどに。
一度上向きになるといろいろ結果もついてくるもので、勉強も頑張れば頑張るほど上がっていき、卒業するまで学年のトップ10以内を維持し続けました。
[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]1位もなったことあるケロ![/word_balloon]
将来は「管理栄養士」を志して大学に進学。
卒業直後にある管理栄養士国家試験に向けてがむしゃらに勉強し、大学は主席で表彰されて卒業、難関と言われた国家試験も一発合格しました。
学生時代に掴んだことは、「努力すれば必ず報われるんだ」ということ。
やったらやっただけ結果がついてくる。それが当然のことだと思って社会に出ていきましたが・・。
それが見事に打ち砕かれるのが社会の摂理でした。
新卒入社した職場は地獄だった
管理栄養士として働くにあたっては、いろいろな職場形態があります。
厨房に入って調理から始める人、いきなり献立などの事務作業から始める人、ドラッグストアでレジ打ちをしながらお客様に栄養の知識を提供する人。
就職先によってさまざま。かなり守備範囲が広い資格なんですね。
私は調理経験をしっかり積んでから献立などの事務作業に入りたかったので、新卒は厨房から始める会社に入りましたが・・。
休み返上で働かされるわ、現場チーフに目をつけられて意地悪されるわ。
このチーフのもとで働き、辞めていった管理栄養士は数しれず。後から聞きましたが、あのチーフがいる職場は「軍隊のような現場」だと言われ、支店内でも有名だったようです。
チーフ以外はいい人たちでしたが、理不尽な鬼軍曹チーフのもとでは私を表立ってかばうこともできず。一通り罵られた後にそっと慰めてもらうような状態でした。
そんな扱いに耐えつつ、ひたすら真面目に勤務し続けた果てに振り込まれるお給料も、手取りで10万ちょっと。
もう最悪な社会人生活でした。
「努力すれば必ず報われる」と思っていた私には受け入れがたい現実。
学生だった頃は考えが甘かったことを差し引いても、新卒の頃に味わった挫折感は今でも忘れられません。
思い切って転職したことで形勢逆転!
こんな生活がいつまで続くんだろうと思っていたとき、卒業した大学の先生から都内の某私立大学附属病院の欠員が出たから転職してみないかとお話がありました。
当時は神奈川県の実家暮らし。都内に出勤できなくはないですが、早番をやるには東京での一人暮らしが必須。疲れ果てて帰ってきて、いい歳して家事は親のお世話になってようやく成り立っているような私。
いきなり環境が変わることへの不安もありながら面接に行きましたが・・。
面接で見せてもらった求人票に書いてあったお給料と年収額を見て目玉が飛び出ました!
なんと。今の年収の軽く2倍。下手すれば数年で3倍近くになりそうな金額でした。
「これは本当ですか??」と聞くと、この求人票は新卒向けのもの。私は経験者扱いで四大卒なのでもっと多くなるし、昇給も短大や専門学校卒より早いと。
[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]理性が吹っ飛んだケロっ!!
先のことは後で考えるケロよ!![/word_balloon]
先方もせっかちだったのでその場で採用が決まり、速攻で転職を決めました。
退職時にチーフから「あんたなんて、どこに行っても使い物にならないわよ」と捨て台詞を吐かれましたが、びっくりするくらい気にならず(笑)。
スマイル全開で「お世話になりましたー!」とご挨拶して去りました。
他の人達は「良かったね~!」「あなたなら大丈夫!」と言ってくれたので、それだけで十分です。
病気を乗り越え、家族を作る
新しい職場は相性がよく、親くらいの年代からちょっと年上の先輩までもれなくノリが良く(笑)、本当に楽しく働きました。
今までの苦労が嘘のように、出勤するのが楽しみで、仕事を覚えていくのが楽しい毎日。失敗したり嫌なこともありますが、新卒の頃の地獄に比べれば大したことない。
チーフの意地悪で唯一役に立ったことです。
転職して間もなく、小学校の同級生だった男性とSNSで再会。1年ほど経った頃からお付き合いを始めました。
真面目だった彼は、この歳(当時20代後半に差し掛かる頃)でお付き合いを始めるなら結婚を前提にしたいと言ってくれ、まさに人生上向き!・・というところで。
勤務中に突然腹部の激痛に襲われて検査したところ、「子宮内膜症」であることが分かりました。
治療が上手くいっても、妊娠できる確率は五分五分。不妊治療も視野に入れることもあるかもしれないとの説明に呆然としました。
もうすぐ結婚するのに。子供ができないかもしれない?そんなことってある?
迷いの中、痛みや薬の副作用に悩みつつも治療を続けた結果、1年弱で完治。
闘病を支えてくれた彼氏と結婚して、その後無事に2人出産。不妊治療をすることもなく、自然妊娠で授かりました。
運が良かったんでしょうね。
再び襲ってきた病気は「適応障害」
子宮内膜症の再発もなく、せいぜい風邪を引く程度しか体調を崩さなかった私。
出産すると女は強くなるんだな!っと前向きに解釈し、アレコレと精力的に動き回るようになりました。
仕事は調理業務を離れ、栄養相談や病棟での栄養管理業務に切り替わったことで環境も激変。
私の専門分野である糖尿病に関する資格も取り、学会や講習会に休みを使う日々。かといって、せっかく手に入れた家庭も大事にしたい。
欲張って頑張りすぎた私に、再び襲いかかってきた病気は「適応障害」でした。
まさか30代半ば過ぎでこころの病気になるなんて。まったく予想していない事態でした。
3ヶ月休職した後に復職。リハビリ勤務を経てフルタイムに戻し、1年ほどは何事もなく働けていましたが、不安がぶり返して再度休職。
半年経ちますが、まだ復職できていません。
病気というものは再発するたびに悪化しやすいと言われますが、こころの病気も例外ではないようです。
「再発した後の生活」の情報が少なすぎる件
私がブログで「再発後の生活」を発信しようと思ったのは、私が自分で「再発後」について調べても情報がほとんどなかったからです。
- 再発しないように気をつけること
- 再発させないように、家族や上司が気をつけること
- 再発の原因になりやすいこと
こういうことは書かれているんですけど・・。
[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]ぴょん吉は再発しちゃった後なんだケロ![/word_balloon]
私はもう手遅れなんですけど・・と思いながらネットを読み漁りましたが、どんなに探しても「その後の生活」について満足いく情報は見つけられませんでした。
私と違って皆さんは再発させずに上手に社会復帰しているのか、再発して重症化して発信する余裕がなくなってしまっているのか、理由は分かりません。
でも、「再発後の生活」って気になりませんか?
- 家族はどう接しているんだろう?
- もう一度辛い状況になって、どうやって生活してるんだろう?
- お金はどうやってやりくりしているんだろう?
- 再発させちゃった原因はなんだろう?
- この先どうやって生きていこうとしているんだろう?
再発した人もしていない人も、知っておきたい情報がたくさんあるはず。
そして、それは実際に病気の再発を経験した患者である私にしか語れないことだと思うのです。
お医者さんが書いた適応障害についての記事は勉強になります。でも、病気の成り立ちや再発防止の話を聞いても、実際に患者として取り組めることは決して多くない。
今の状態の自分にできることは限られています。
そして、できることの幅を無理なく広げていくことが一番重要な「再発しない方法」だと思うのです。
このブログで成し遂げたいこと
それはズバリ。
「こころの病気を持つ人達の【知りたい気持ち】を満たすこと」
病気には発症した本人にしか分からない苦しみがあります。いまだに偏見を持たれがちなこころの病気なら、なおさら理解されない苦しみもあると思います。
相談するにしても病院の先生やカウンセラーさんだけ。でも、彼らはプロフェッショナルではあるけれど健康です。実際に患者としての苦しみを味わっているわけではありません。
[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]頼りになるのは間違いないケロよ![/word_balloon]
苦しさを体験し、それを乗り越えつつ生きている私にしか伝えられないことがたくさんあるはず。
ある意味生々しい内容になるかもしれませんが、命がかかっていることです。
自分がかつて「知りたい」と思ったことを包み隠さず書いていくブログにしたいと思っています。
また、家族にこころの病気を持つ人にも読んでもらえるブログに育てたいのです。
患者になってしまうと、自分の考えていることを話すのが億劫になったり怖くなったりすることが多々あります。
知りたいと思って聞いても、本人が上手く言えなかったり拒否したり。すれ違いに悩んでいるご家族にいるのではないかと思います。
不安定な中にいる家族を支えたいと思う気持ちに、少しでも答えが見い出せる記事が書けたらいいなぁっと思っています。
ちなみに、タイトルの「テキママ」とは「適応障害のママ」の略で考えました。
[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]「ドラクエ」的な(笑)。[/word_balloon]
適応障害を持つ中での子育てのリアルも書いていこうと思います。
先が楽しみなのは「挑戦」を始めたおかげ
冒頭で「この先が楽しみで仕方ない」と書きましたが、それはこのブログを始めたことが理由です。
自分の体験だけをもとに、ゼロから何かを作り出すことはなかなかない経験です。
仕事も大概ひな型が決まっていて、多少のアレンジはあっても規則の中に収まる程度。結局毎日同じことを繰り返すだけの日々になりがちです。
でも、今は試行錯誤しながら思うままに手を加えて形を作っている。今までにない体験の真ん中にいる。
こうなったのは、適応障害になった「おかげ」。適応障害になった「せい」ではないんです。
発症した直後は絶望の中にいましたが、今は病気になったからこそ気づいたことがたくさんあります。
[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]今が生き方をカエル絶好のチャンス![/word_balloon]
こころの病気はさまざま。全てがあなたに当てはまるわけではありません。
それでも、少しでもこころの栄養になるような記事が届くことを願って、このブログを続けていこうと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!